陸上長距離のイメージ

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今回は立教大学陸上競技部男子駅伝監督の上野裕一郎(うえのゆういちろう)監督にスポットを当てていきたいと思います。

2018年に監督就任した上野裕一郎監督は、かつて「スピードキング」と呼ばれ高校〜大学〜実業団と大活躍した長距離ランナー。まだ37歳という若さです。(年齢は2022年12月現在)

そんな上野裕一郎監督は、立教大学の2024年箱根駅伝本戦出場という使命を託されていましたが、23年の大会でその目標を達成することが決定。立教大学55年ぶりの箱根駅伝出場ということで、大きくメディアに取り上げられました。

では、上野裕一郎監督の結婚した妻(嫁)や子供!出身中学・高校や身長等のwikiプロフィール!と題し、上野裕一郎監督について詳しく解説していきます。

ぜひ最後までお付き合いください。

上野裕一郎監督の結婚した妻(嫁)

上野裕一郎監督は2009年頃にご結婚されており、妻(嫁)がいらっしゃいます。

お名前は上野真衣さん。三重県四日市市ご出身で大学時代は名城大学で陸上競技をされていた経験をお持ちだそうです。こちらはインスタから、マスク姿?

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上野 真衣(@maidora_ueno)がシェアした投稿


(上野真衣インスタ@maidora_uenoより)

上野裕一郎監督のインスタからはこちら。大会の賞状ですね。


(上野裕一郎インスタ@yuichiro.uenoより)

親子揃ってマラソン大会にも参加されており、こちらは2022年2月に開催されたビタミンマラソンの結果発表。親子マラソンでは「上野裕一郎さん親子」「上野真衣さん親子」がワンツーフィニッシュ!


(ビタミンマラソンインスタ@vitamin.marathonより)

ご家族揃ってランニングを楽しまれている様子がわかります。

また、こちらのツイッターアカウントは奥様。

ちなみに、ご結婚は2009年という情報がありました。2009年といえば上野裕一郎監督が実業団のエスビー食品に所属されていた頃です。(※現在エスビー食品陸上部は廃部)

日本陸上競技選手権5000m、1500mで優勝した年でもあり、競技生活、プライベートとも充実されていたことがわかりますね。

上野裕一郎監督の子供

上野裕一郎監督は3人の子供さんをお持ちの、3児(1男2女)のパパです。

2018年のインスタから、3人勢ぞろいのこちら。パパに似てますか?


(上野裕一郎インスタ@yuichiro.uenoより)

  • 長女:愛夏(なな、中学1年生)
  • 次女:夢歩(ゆあ、小学4年生)
  • 長男:叶翔(かなと、小学2年生)

(※学年は2022年12月現在)

みなさん陸上を含めスポーツをやられているようでした。これもアスリートの遺伝子でしょうか?

父と同じ陸上の道へと進むことになるのか、ちょっと興味ありますよね。

上野裕一郎監督の出身中学

上野裕一郎監督の出身中学は長野県の佐久市立野沢中学校だそうです。佐久市長・柳田清二さんのツイートから知ることができます。

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ただ、Runtrip Magazineの記事『頂点を経験した上野裕一郎氏が次世代に伝えたいこと』によると、上野裕一郎監督は小学4年生から中学3年生まで野球をやられていたそうです。ですから、陸上全国大会の成績なども存在しないようです。

上野裕一郎監督の出身高校

上野裕一郎監督の出身高校は長野県の佐久長聖(さくちょうせい)高等学校です。

上野裕一郎監督は2003年(3年生時)に当時の10000m高校記録となる28分27秒39をマーク。一躍全国的に名が知られるようになりました。

前出のRuntrip Magazineの記事にこちらのような記述があります。

佐久長聖高校に進学し、当時の駅伝部監督であった両角速監督(現・東海大駅伝監督)の指導のもと本格的に陸上を始める

上野裕一郎が陸上長距離に開眼するのには、両角速さんが大きく影響を与えたようですね。

ちなみに佐久長聖高等学校は長野県佐久市にある私立高校。進学校でありスポーツが盛んな高校として有名です。

硬式野球部は甲子園の常連ですし、駅伝部、女子バスケット部も全国レベルの実力を持っています。

陸上競技では大迫傑さん佐藤悠基さんらを輩出しています。

上野裕一郎監督の出身大学

上野裕一郎監督の出身大学は中央大学です。学部は法学部。2008年にご卒業されています。

大学時代の上野裕一郎監督は箱根駅伝をはじめ数々のレースで激闘を繰り広げ、現在でも「名ランナー」「スピードキング」といった呼ばれ方をされています。

また、トラック競技でも強さを発揮し、2005年国体1500m3位、2006年全日本インカレ5000m4位、2007年全日本学生陸上5000m1位といった素晴らしい成績を収めています。

中央大学の駅伝部は当時、田幸寛史さんが監督をされていました。上野裕一郎監督が幅広く活躍でき、実業団に入っても伸びしろを存分に発揮できたのは、田幸寛史さんの功績かも知れません。

ちなみに、中央大学の法学部は特に多くの有名人を輩出しており、競泳の源純夏さん、田中雅美さん、中村真衣さん、サッカーの古橋亨梧さんといったアスリートだけではなく、政界にも数多くのOBが存在します。

上野裕一郎監督の身長や誕生日等のwikiプロフィール

上野裕一郎監督の身長

上野裕一郎監督の身長は183cmだそうです。

JAAF公式サイトの選手名鑑のデータですが、身長は現在もそれほど変化はないかと思われます。

身長170cmのビダン・カロキさんと並ぶとこんな感じです。デカい!


(上野裕一郎インスタ@yuichiro.uenoより)

上野裕一郎監督の年齢や誕生日(生年月日)

上野裕一郎監督は1985年7月29日生まれで、年齢は37歳です。(2022年12月現在)

2018年、立教大学の男子駅伝監督に就任された時の公式リリースに記載があります。

就任当時は33歳だったんですね。

ちなみに、現役を退いて指導者に転身したわけでなく、現役競技者としてのトレーニングを重ねつつチームを指導するというスタンスのようです。

メディアには「日本一速い監督」といった見出しも。選手を上回るというのはちょっとスゴすぎ?

上野裕一郎監督のwikiプロフィール

  • 名前:上野裕一郎(うえのゆういちろう)
  • 年齢:37歳(2022年12月現在)
  • 出身:長野県佐久市
  • 所属:立教大学陸上競技部男子駅伝監督

上野裕一郎監督の経歴

2019年のスポーツ報知の記事『佐久長聖高・師弟が対談』によると、上野裕一郎監督の長距離ランナーとしてのスタートは、両角速さんとの出会いから始まったそうです。

上野裕一郎監督は中学時代、長野県の駅伝大会に出場。その走りを見た両角速さんは「フォームはガチャガチャしていたけど、手足が長くてスケールの大きさを感じたので勧誘した」のだとか。

その後の上野裕一郎監督の活躍ぶりを見れば、当時の両角速さんの目に間違いがなかったことは明らかですね。

上野裕一郎監督は高校時代を振り返り「両角先生には陸上を一から教えてもらいました。その後、大学や実業団で多くの指導者の教えを受けましたが、それは応用編。今でも基礎になっているのは両角先生の教えです」と語っています。

上野裕一郎監督は高校卒業後、中央大学を経て実業団入り。エスビー食品時代には2009年世界陸上も経験されますが、2013年に廃部。DeNA移籍後、自身のセカンドキャリアを考えていた時に、立教大学から思わぬオファーが届きます。

そして、2018年立教大学男子駅伝監督に就任。

この時目標に掲げたのは2024年箱根駅伝本戦出場。ですが、その目標はもっと早く実現することになります。立教大学は2022年の箱根駅伝予選会で6位。55年ぶりに箱根へのキップを手にし、上野裕一郎監督思わず男泣き!

箱根駅伝での激走だけでなく、今後上野裕一郎監督が指導者として、そしてランナーとしてどんな活躍を見せてくれるのかすごく楽しみですね。

上野裕一郎監督の成績

上野裕一郎監督のこれまでの成績を簡単にご紹介します。

前述の通り、本格的に陸上競技をスタートするのは高校時代から。わずかの期間に目覚ましい成長を遂げたことがわかります。

  • 2003年:インターハイ1500m 5位、5000m 5位
  • 2003年:日体大長距離競技会10000m 28分27秒39(当時の高校記録)
  • 2007年:箱根駅伝 中央大学8位(3区、区間1位)
  • 2007年:出雲駅伝 中央大学7位(1区、区間1位)
  • 2007年:全日本大学駅伝 中央大学3位(4区、区間1位)
  • 2009年:日本選手権1500m 1位、5000m 1位
  • 2016年:ニューイヤー駅伝 DeNA5位(3区、区間1位)
  • 2016年:日本選手権5000m 2位
  • 2017年:日本選手権5000m 4位、10000m 2位

次の「スピードキング」は立教大学から生まれるかも?

まとめ

今回は上野裕一郎監督の結婚した妻(嫁)や子供!出身中学・高校や身長等のwikiプロフィール!と題してお送りしてまいりました。

  • 上野裕一郎監督の妻(嫁)は市民ランナーとして大会に参加している上野真衣さんでした。
  • 出身中学は不明、高校は佐久長聖高等学校です。卒業後は中央大学へと進学しています。
  • 身長は183cm。1985年7月29日生まれの37歳です。(2022年12月現在)
  • 2018年に立教大学男子駅伝監督に就任。指導者としてのセカンドキャリアをスタートさせました。

という結果となりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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