白球を握る高校球児

スポンサーリンク

今回は2022年センバツ(春の甲子園)近畿代表の和歌山東高等学校を率いる米原寿秀(よねはらとしひで)監督をご紹介したいと思います。

米原寿秀監督は2010年、軟式から硬式野球部になったばかりの和歌山東高校の野球部監督に就任。それからわずか12年でチームを甲子園に導いた指導手腕が注目されており、現在では“名将”の一人として数えられています。

魂の野球”をモットーに掲げ指導力を発揮している米原寿秀監督ですが、過去には謹慎処分を受けた事件もあるなど、これまで決して平坦な道のりではなかったんです。

では、米原寿秀監督の謹慎や経歴!年齢や身長・体重等のwikiプロフィール!と題し、米原寿秀監督について詳しく解説していきます。

ぜひ最後までお付き合いください。

米原寿秀監督の謹慎

産経新聞の報道によると、事件が起こったのは2015年のこと。米原寿秀監督は部員への暴力が発覚したため一時野球部の指導を外れ、和歌山東高校は推薦されていたセンバツの「21世紀枠」から辞退したということがありました。

記事にはこちらのような経緯が書かれてあります。

同校や県高野連などによると、先月(2015年11月)17日、監督が部員に生活指導をしていた際にもみ合いになり、平手でほおを2回殴打したという
県教委への報告では、日常的な暴力は把握できていないという

実際に何が起こったのかは当事者でないとわからないことではありますが、生徒のナメた態度についカッときたのかな…と想像します。

ネットには「指導者が悪いのに部員が報われないなんて」という声がある一方、「教師をなめきった生徒に平手打ちした程度で体罰とする風潮は馬鹿馬鹿しい」といった声も。受け止め方はさまざまだったようですね。

いずれにせよ甲子園出場のチャンスをフイにしたわけで、米原寿秀監督はこの時1か月の謹慎処分を受けています。当時、日本学生野球協会の審査室会議で処分が決まったのは、和歌山東高校を含めて12件あり、

  • 部員の部内暴力で6か月対外試合禁止
  • 部員の喫煙と飲酒未遂で4か月対外試合禁止
  • コーチによる部内暴力で6か月謹慎処分

などなど。1か月の謹慎処分は比較的悪質性が低かったということかも知れません。

同じ和歌山県では、2008年に強豪校の智弁和歌山高等学校の監督・高嶋仁(当時)さんが練習試合中に部員を2人蹴ったということでやはり処分を受けています。高校生の指導はなかなか一筋縄ではいかないようですね。

米原寿秀監督の経歴

米原寿秀監督は学生時代、甲子園の出場経験はないものの内野手やキャッチャーとして活躍されていたのだそうです。

プロ野球西武ライオンズで活躍した西口文也さん(現埼玉西武ライオンズ二軍監督)は高校の2学年先輩で、同じ立正大学に進学。ということで親しくされていたようです。

大学卒業後はしばらく一般企業でお仕事をされつつ、母校の和歌山県立和歌山商業高等学校でコーチを務めます。教員免許を取得後の2003年に和歌山商業の監督に就任。2007年にはセンバツ出場を果たしました。

和歌山東高等学校の監督に就任するのは2010年のこと。ちょうど軟式野球部から硬式野球部へと移行するタイミングでした。ただ、“甲子園出場校監督”の金看板を持っていても、当初はかなり大変だったようです。

朝日新聞の記事によると、硬式野球部への移行には批判の声もあり

当時は髪を派手な色に染めたり、制服を着崩したりする生徒が多かったといい、仮に夏の和歌山県大会での応援の様子がテレビに映れば“批判の的になるのでは”と懸念したようだった

とのこと。ハッキリいうとやんちゃな子が多かったんですね笑

米原寿秀監督は選手たちと一緒にグラウンドの草むしりをしたり、遅刻や問題を起こす部員を根気よく指導されたのだとか。そのかいあって、2016年秋季和歌山大会では優勝するまでに成長しました。

Number Webの記事で、米原寿秀監督はこちらのように語っています。

自分が赴任した時は3年生1人が夏まで硬式で続けましたが、7人いた2年生は1人、12人いた1年生は2人だけですね、最後まで続けたのは。ちゃんと(野球部を)卒業したのは3年間で計4人だけでした

そんな状態から、現在では近畿地区の強豪校と肩を並べるチームに。米原寿秀監督が“名将”と言われる所以かも知れませんね。2022年にはセンバツ初出場を果たしています。

2021年秋の県大会、智弁和歌山戦を前に選手にこう語りかけて奮い立たせたそうです。

自分たちの持っている魂を全てぶつけろ。魂の野球をしよう

スポンサーリンク

今や“魂の野球”は和歌山東高校の欠かせないキーワード。今後、甲子園でどんな躍動を見せてくれるでしょうか。

米原寿秀監督の年齢や身長・体重等のwikiプロフィール

米原寿秀監督の年齢や誕生日(生年月日)

米原寿秀監督は1975年1月24日生まれで、年齢は47歳です。(2022年3月現在)

2022年3月のサンスポの記事内にあるプロフィールに記載があります。

和歌山東高等学校に赴任し野球部の監督になったのは2010年ですから、米原寿秀監督が35歳の頃。仮に異動がなく定年が65歳だとすると、あと18年ほどは野球部の監督ということになりますね。

ちなみに、私立高校ではありますが大垣日大の阪口慶三監督は2022年センバツで甲子園最高齢勝利を挙げたのだそう。年齢は77歳!

米原寿秀監督もぜひ長く続けて、たくさんの伝説を残していっていただきたいですね。

米原寿秀監督の身長

米原寿秀監督の身長についての情報はなく不明です。

こちらのノック中の写真で見ると、選手ともそれほど体格差はないように感じられますよね。

ということで、ざっくり175〜180cmくらいと推測してみました。

米原寿秀監督の体重

米原寿秀監督の体重についての情報はなく不明です。

こちらの写真で見ると、アスリートとしてはすごく細身でしょうか。

あくまで見た目から判断すると、70〜75kgくらいかと思われます。筋肉質だともっとある可能性もありますね。

米原寿秀監督の血液型

米原寿秀監督の血液型についての情報はなく不明です。

米原寿秀監督がモットーに掲げている“魂の野球”といった言葉からは“情熱家”の一面が垣間見えます。また、選手たちをうまく統率するリーダーシップも感じられますよね。

もしかすると、血液型はO型かな?と思いますが…

あくまで想像です笑

米原寿秀監督の出身地

米原寿秀監督の出身地は大阪府だそうです。前出のサンスポの記事に記載がありました。

ただ、高校は和歌山県の和歌山県立和歌山商業高等学校に進学されています。学生時代に引っ越しをされたようですが、詳しい事情については明かされておらずよくわかりません。

そう言われてみると、話しぶりはちょっと大阪ぽいかな…とも感じますが。(※インタビューは1分40秒付近から)

ノック中の「そこはお前、ステップ一個やろ!おま〜え」がなんかいい感じでグラウンドに響いています笑

米原寿秀監督のwikiプロフィール

  • 名前:米原寿秀(よねはらとしひで)
  • 年齢:47歳(2022年3月現在)
  • 出身:大阪府
  • 所属:和歌山東高等学校

米原寿秀監督の出身高校

米原寿秀監督の出身高校は和歌山県立和歌山商業高等学校です。

米原寿秀監督は高校時代、野球部に所属。ポジションは内野手でした。選手として甲子園の土を踏むことはなかったそうです。ですが、母校の指導者としては2007年にセンバツ出場を果たしています。ファンの方はよくご存じですね。

ちなみに、和歌山県には以前、和歌山市立と和歌山県立の和歌山商業高等学校があったため、“市和商”“県和商”と区別していたそうです。2009年に市立和歌山商業は和歌山高等学校に校名を変更していますが、“県和商”という呼び方は現在でも一般的に使われているようです。

米原寿秀監督の出身大学

米原寿秀監督の出身大学は立正(りっしょう)大学です。学部学科は法学部法学科だそうです。

2007年、米原寿秀監督が県立和歌山商業を率いて甲子園出場を果たした際には、広報誌「立正大学学園新聞」で大きく取り上げられていました。

米原監督の立正大時代はベンチには入らず、学生コーチとして後輩の指導にあたる毎日だった
甲子園初戦の直前には、プロ開幕を控えた西武ライオンズの西口文也投手から激励の電話が入っていた。この西口投手と米原監督は、県和商と立正大で先輩後輩の間柄で親しかった

といったエピソードが明かされています。

ちなみに、立正大学は東京都品川区にある仏教系の私立大学。卒業生には元プロ野球選手の西口文也さん、武田勝さん、芸能人では徳重聡さん、月亭方正さんなどがいらっしゃいます。

米原寿秀監督の成績

米原寿秀監督が監督として甲子園に出場した際の成績をご紹介します。米原寿秀監督は2010年に和歌山東高校の監督に就任。それまでは県立和歌山商業高校の監督をされていました。

  • 2007年春:県和歌山商4−6熊本工(1回戦)
  • 2022年春:和歌山東8−2倉敷工(1回戦)
  • 2022年春:浦和学院7−0和歌山東(2回戦)

まとめ

今回は米原寿秀監督の謹慎や経歴!年齢や身長・体重等のwikiプロフィール!と題してお送りしてまいりました。

  • 米原寿秀監督は2015年、部員への平手打ちが表沙汰となり謹慎処分を受けた経緯があります。
  • 立正大学卒業後に指導者へと転身。2007年には和歌山県立和歌山商業高校の監督として甲子園の土を踏みました。
  • 大阪府出身、1975年1月24日生まれの47歳です。(2022年3月現在)
  • 2010年に和歌山市立和歌山東高等学校へと赴任。創部間もない硬式野球部を12年でセンバツ(春の甲子園)へと導きました。

という結果となりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

スポンサーリンク