横浜ビー・コルセアーズ連載第2弾、これまでの記事はこちら↓
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波乱万丈のバスケ人生を歩んで来た高島一貴選手のストーリー

こんにちは! 激カメ大亀です! Bリーグ横浜ビー・コルセアーズレポート連載第2弾、今回は横浜ビー・コルセアーズの背番号2、高島一貴選手にお話を伺ったインタビューを前・後編の2回に分けて、たっぷりとお届けします。

画像: 横浜ビー・コルセアーズ#2 高島一貴(たかしま・かずたか)選手。2月4日の試合後にお話を伺った。

横浜ビー・コルセアーズ#2 高島一貴(たかしま・かずたか)選手。2月4日の試合後にお話を伺った。

実は、前回のビー・コルセアーズ連載の時に、高島選手からTwitterでメッセージ付きのリツイートをいただきました。それに感激して返信すると、なんと高島選手から丁寧なリプライをいただいたんです。以来、機会があれば是非お話を伺ってみたいと思っていたのですが、早速今回実現することが出来ました。実際にお会いした高島選手は、Twitterでのメッセージから感じたイメージそのまんまで、とても明るくて実直、試合後で疲れているにもかかわらず、いろいろなことを沢山、熱く話してくれました。

―― Twitterではリプライ、ありがとうございました。選手の方から直接反応をいただけるなんて思っていなかったので感激でした。

「いえいえ、ああもう全然です(笑)」

―― 取材を重ねるうちに、ビーコルとバスケットボールの魅力にどんどんハマって来ています。

「ホントですか。うれしい、それはありがたいです!」

高島選手は、いつもTwitterを使ってプロバスケットボール選手としてのピュアな想いを発信し続けています。特に試合後には反省や、率直な気持ちを投稿してブースターにメッセージを送っています。

「選手からいろいろ発信していくことは、すごく大切なことだなっていうのを、以前、筑波(つくばロボッツ・現サイバーダイン茨城ロボッツ)にいた時に感じたんです。筑波では、いろいろとあったのもあって、自分たちから、ある程度発信していかないといけないなっていう気持ちが強くなったんです。バスケットボールのこと、チームのこと、個人のこと、プロになってから、ずっと続けています」

Twitterは、高島選手にとってなくてはならないツール。ブースターにとっては、かけがえのない選手との架け橋です。

「いつも、試合の反省をTwitterに上げているんですけど、ブースターのコメントも、ひとつひとつ読んでいます」

画像1: 波乱万丈のバスケ人生を歩んで来た高島一貴選手のストーリー

ブースターは、選手と気持ちを共有出来ますね。

「やっぱり勝ったり、負けたときの不満だったり、いろんな意見があるのは当然のことです。ただそういうことを聞くことも、大事かなと思って、ま、それも受け入れるぐらいの歳になったのかなとは思いますけれどね(笑)」

高島選手は、2月25日に33歳になったばかり。プロ選手としてはベテランといわれる年齢です。歩んで来たここまでのプロ生活では、数回に渡るチームの経営破綻を経験し、とても波乱万丈のバスケットボール人生を歩んで来ています。

苦難を経験し、選手の側から発信することの重要性を感じて始めたTwitter。その苦難の時代を高島選手は詳しく話してくれました。

「ここでは言えないようなことが、バスケット界では本当に起こっているっていうのがあるんです。僕は8年間、企業チームのアイシンシーホース、今のシーホース三河にいたんですけど、あの時は企業チームで、何不自由なく、バスケットボールが出来る環境でした。体育館があって、本当にバスケットボールだけやっていればいいっていう生活を8年間送っていたんです」

高島選手は2014年に、故郷茨城県のチームつくばロボッツへ移籍。それは地元のチームで、茨城にもバスケットボールを根付かせたいという強い想いから決断した移籍でした。しかし、つくばロボッツは経営難に陥ってしまいます。

「現状が非常に厳しくて、本当に辛い思いをしたというか、バスケットをやって、お金をもらえないということが当たり前になってしまっていました。それがすごく悔しくて…」

企業チームから、プロチームへ移籍してお金の心配をしなければならないとは、なんとも皮肉な話です。

画像2: 波乱万丈のバスケ人生を歩んで来た高島一貴選手のストーリー

この時もTwitterで、気持ちを発信していた高島選手でしたが、もどかしい思いがあったそうです。

「あの時は、選手がそんなことを言っても良いのかとか言われましたね。現状、やっぱりやっているのは自分たちだし、あったことをそのまま伝えても、思ったようには上手く伝わらなくて、それが凄くもどかしかったです」

普通ならここでTwitterをやめる選手が多い中で、高島選手は止めませんでした。むしろ、発信することの重要性を再認識したのです。

そんな苦しい状況だった当時のつくばロボッツで、チームメイトだった岡田優介選手(現・京都ハンナリーズ)の存在が大きかったそうです。

「いろいろとあった中で、岡田選手が方向性を出してくれて、自分たちもバスケットを考える時間っていうのが出来たんです」

当時の旧NBL時代、高島選手はこれからのバスケットボールを危惧するようにもなったと語ります。

「将来、バスケットボール選手を目指す子供たちが、あの時の僕らと同じような、給料が貰えなかったりとか、そういうことが当たり前のように起きてしまったら、もうこれは本当にバスケットボールの未来は終わってしまうなって」

画像: 波乱万丈のバスケ人生。苦難の道のりを経て、横浜ビー・コルセアーズにたどり着く。

波乱万丈のバスケ人生。苦難の道のりを経て、横浜ビー・コルセアーズにたどり着く。

苦難に直面しながら高島選手は、選手生命をかけ、バスケットボールと真正面から向き合っていました。

「正直、もうあそこで引退する覚悟もありましたし、それぐらいの覚悟をもって闘おうって自分の中では決めていたんですけど、結局はロボッツを出ることになりました」

辛い決断を強いられた高島選手は、2015年に和歌山トライアンズに移籍を考えます。しかし、また苦難が…。

画像3: 波乱万丈のバスケ人生を歩んで来た高島一貴選手のストーリー

「先行き不安な状態だったんですけれども、和歌山トライアンズも経営破綻になってしまい…。地元ブースターの人たちが凄く熱くて、チームを存続させたいって想いが強かったんです。でも、金銭的な面でどうしても…」

高島選手をはじめとした選手たちも、何とかトライアンズを存続させるべく必死の努力をします。

「つくばでもあったチームを出ていく選手と、残る選手っていうのが、和歌山でもありました。NBL時代は、登録が10人になれば、試合が出来たんです。登録数に満たない和歌山に、つくばを出た5人の選手が合流すれば、なんとか存続出来るのではと考えたんです」

当時、先に経営難に陥っていたつくばロボッツを、苦渋の決断の末に出ることになった選手たちが、和歌山トライアンズに移籍。トライアンズは、これで何とか10人の選手を確保出来たのです。

この時、高島選手自身は、つくばと和歌山の間で気持ちが大きく揺れ、決断にはかなり悩んだそうです。

「つくばに戻れるなら戻りたいっていう気持ちもありました。でも、和歌山トライアンズのブースターの方々が、あの大変な状況の中でも、僕ら選手を受け入れてくれて、プレーする場所を与えてくれた。そんな和歌山の皆さんに恩返ししたい気持ちがすごく強くなったっていうのが、あそこではありましたね」

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企業チームからプロチームに移籍するも、それら2つのクラブが経営難という苦境。Bリーグ誕生以前、2つのプロバスケットボールリーグが存在していた中で、クラブの経営難は大きな問題でした。高島選手はその激動の苦しい時代を、選手として身をもって経験していたのです。

痛切な想いで和歌山トライアンズに移籍した高島選手。ここで、今ビーコルで共に闘う僚友、川村卓也選手と半年間プレーすることになります。このことは、のちの高島選手に大きな影響をもたらすことになるのです。

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前編はここまで。次回、高島一貴選手インタビュー・後編をどうぞお楽しみに!

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