画像1: [最終回]世界に認められたエディージャパンのW杯

9月19日、日本が南アフリカに勝利した翌日の現地新聞は「日本の勝利」一色で、勝利の実感が湧いてきます。世界的にインパクトのある出来事となり、ハリー・ポッター作者のJ.K.ローリングが「こんな話、かけない(You couldn't write this...)」とつぶやいたことは現地でも話題になっていました。

翌日、日本代表はお休みでしたが、日本と南アフリカが対戦した同じスタジアムでは、サモア対アメリカの試合があり、足を運びました。するとかつて日本(三菱重工相模原)でプレーしていた元ウェールズ代表のWTBシェーン・ウィリアムズが解説に来ていて、少し話すことができました。他にも大会中はサントリーに在籍していた元オーストラリア代表SHジョージ・グレーガン、元アルゼンチン代表SHアガスティン・ピチョットらかつて取材した名選手たちと邂逅し、これも世界大会ならではの楽しさです。

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ただ、ここから23日までは〝ジェットコースター〟に乗っているかのように過ぎ去っていきました。それもそのはず、日本は中3日でスコットランドと対戦することになっていたからです。早くも21日にはメンバー発表がありました。その会場には海外のメディアも多く、おそらく取材陣は100名以上いたと思います。

当然、南アフリカを破った日本に注目が集まりました。イングランドの記者もいますし、日本代表にはニュージーランド出身の選手も多く、FLマイケル リーチ主将、南アフリカ戦で逆転トライを奪ったWTBカーン・ヘスケスらを目当てにニュージーランドのメディアも。またスクラムコーチのマルク・ダルマゾがフランス人だったため、フランスのメディアもおり、5社7~8名だった10日前とはまったく違う光景でした。

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メンバー発表が終わると、電車を乗り継いでブライトンからグロスターへ移動します。着いたのは夜の20時くらいだったでしょうか。さらに22日は日本とスコットランドの前日練習を取材し、23日は2戦目を迎えました。残念ながら10-45で大敗してしまいましたが、当然、南アフリカ戦の時と同様に4~5ヶ所に原稿を送って、寝られたのは朝4時くらいだったと記憶しています。そして、翌朝は早く、次の日本代表の合宿地であるウォーリックへ向かいました。

この1週間くらいは本当にせわしなくて、あまり細かい記憶がないほどです。ただ、このあたりから、今回のワールドカップ取材は一変しました。「日本はすごいことになっている」という話は噂には聞いていましたが、現地にいるとさほど実感はありません。

ただ、ビックリしたのは知らない人からの電話が1日、2~3回かかってくること。さらに今まで一度も書いたことのない雑誌から原稿の依頼がきたり、ワールドカップを振り返る雑誌の発刊が決まりそうだったり……など、文字通り「嬉しい悲鳴」もありました。他にも地元のBBCのインタビューを受けて(テレビで流れたそうですが見られませんでした。残念)地元のラジオに出演してくれという依頼もありしました(忙しくてラジオには出演できませんでした)。

当初は、ゆっくりとイングランド北部のスタジアム巡りをしようと予定を立てていましたが、それは「もう無理だな……」と早々にあきらめました。ウォーリックからバーミンガムまでは30分ほどだったので、月曜日の夜にあったWBA(ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン)とエヴァートンというサッカーのプレミアシップを見に行くのがやっとでした。

嬉しかったのは「日本からのメディア」だとわかると、現地の人から「日本対南アフリカ、見たよ! すごかったな!」と何度も言われたことです。大会前、エディー・ジョーンズHCが目標の一つに「世界に日本もラグビーをしている国だと認められたい」ということを掲げていましたが、まさしくそれが実現したと思います。

日本代表に帯同することになり、日本戦以外の数試合はキャンセルし、ほとんど取材か宿で原稿を書いているか、合宿のような日々でした。しかも当時のレートが1ポンド=200円くらい(現在は160円くらい!)だったため、フリーの身としては、ホテルではなく、いわゆる民宿にしか泊まれず(それでも8000円くらい)、ご飯もランチはスーパーのサンドイッチ、夜はフィッシュ&チップス、おやつはバナナとポテトチップスというのが定番でした(唯一の救いは、そのフィッシュ&チップス店が、地域で一番美味しいお店だったことです)。

そこで、10月3日の3試合目のサモア戦の前後2日だけ、ミルトンキーンズの少し高めのホテルに泊まりました。そのホテルには浴槽がり、1ヶ月ぶりにお風呂に入ることができました! 試合の方はというと、日本は苦手としていたアイランダーのサモアに対して26-5で快勝。南アフリカ戦がフロックではないことを証明しました。

10月11日、日本はアメリカと4戦目を戦う予定になっていたので、三度、グロスターに向かいます。日本は10日の試合でサモアがスコットランドに勝利すれば、決勝トーナメントに進出する可能性が出てきます。日本の前日練習が終わった後、スタジアムのメディア控え室で、みんなで、その試合を見ていましたが、スコットランドがサモアに36-33で勝利しました。その瞬間、アメリカ戦を待たずに日本の決勝トーナメント進出がなくなり、3位が決定しました。

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今までの日本ラグビーの歴史から見れば、3位となって次回ワールドカップ出場権を獲得したことも快挙だったのですが、「ここまで来たらエディー・ジャパンが決勝トーナメントで戦う姿を見てみたい」と強く願っていました。しかも開催地は「聖地」トゥイッケナム・スタジアムで、相手はジョーンズHCの母国であるオーストラリアでした。本当に残念でならなかったのですが、勝負の世界は甘くありませんでした。取材しているだけでも落胆して、どっと疲れが出てきたくらいです。

そんな中で、11日、日本はアメリカと対戦しました。しかも大会未勝利のアメリカは前の試合で主力のほとんどを温存、日本戦に懸けていました。日本は前日に決勝トーナメント行きが消滅、順位が決定した中で行われる、いわば「消化試合」でした。それでもワールドカップという真剣勝負の中で、日本は28-18で見事に勝利し、ワールドカップで「3勝しても決勝トーナメントに進出できない初のチーム」になりました。しかも勝ち点で言えば、3位チームの中で勝ち点トップとなり、20チーム中9位でイングランドを後にすることになりました。

初の決勝トーナメントは次回、2019年に日本で開催されるワールドカップまでお預けとなりました。やはり、ホームで自力で決勝トーナメントに行けということでしょうか。ただ、2019年に向けた日本代表の強化は、2015年大会までの4年間のスパンから見れば「半年ほど遅れている感」は否めません。スーパーラグビーに日本チームであるサンウルブズが参入した影響もありました。

エディー・ジャパン時は2011年の年末にジョーンズHCの就任が決定し、2012年の4月2日から合宿がスタートしていました。新しくヘッドコーチに内定したジェイミー・ジョセフ氏は8月に就任する予定であり、4月はU20日本代表の指揮官である中竹竜二ヘッドコーチ代行が、6月のスコットランド代表戦などはサンウルブズを指揮しているマーク・ハメットが指揮を執ります。

ただ、前を向くしかありません。今度こそワールドカップベスト8に入るために、前回大会の良いところは残しつつ、課題を修正していってほしいと思います。2015年大会ではイングランドが初めて開催国ながら予選プールで敗退したように、サッカーのワールドカップのように開催国枠がなく、必ずしも有利に働くとは限りません。

日本は2019年のワールドカップでは、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、アルゼンチンの南半球4カ国、さらにはイングランド、フランス、アイルランド、ウェールズ、スコットランド、イタリアの北半球6カ国の10チームの中から2チームと対戦し、おそらくフィジー、トンガ、サモアのいずれかと戦うことになるはずです。もうワールドカップへの戦いは始まっています。「次こそは決勝トーナメント進出=ベスト8」というファンの期待感は2015年とは比べものにならないはずですし、私もメディアの一人として、しっかりとその強化の過程を追っていきたいと思います。

ワールドカップは2019年大会だけでなく、2023年、2027年と続いていきます。2016年のリオデジャネイロ五輪から男女のセブンズ(7人制ラグビー)も正式種目となり、当然、2020年東京五輪でもセブンズは開催されます。各カテゴリーの日本代表、そして日本ラグビーが強くなっていくことを願うばかりです。

ラグビー部だった高校時代、第3回ワールドカップで日本がニュージーランドに17-145で敗れた試合を見て呆然としてからはや20年、日本が南アフリカに勝つ日が来るとは夢にも思いませんでした。スコットランド戦の直前、ラグビーファンのグロスターの宿屋の主人に「日本代表には『チェリーブロッサムズ(桜軍団)』と『ブレイブブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)』という愛称があるけど、どちらが正しいの?」と聞かれたことがありました。私は「ブレイブブロッサムズです」と胸を張って答えることができました。

2015年ラグビーワールドカップは、「エディー・ジャパンを4年間、追ってきてよかった」と心から安堵し、そして日本の3勝を目の前で見ることができた一生忘れることができない大会になりました。(文・写真=斉藤健仁)

 
[プロフィール]
スポーツライター。1975年生まれ、千葉県柏市育ち。ラグビーと欧州サッカーを中心に取材・執筆。2015年ラグビーワールドカップを含むエディー・ジャパン全57試合を現地で取材!ラグビー専門WEBマガジン「Rugby Japan 365」「高校生スポーツ」の記者も務める。学生時代に水泳、サッカー、テニス、ラグビー、スカッシュを経験。「エディー・ジョーンズ 4年間の軌跡」(ベースボール・マガジン社)、「ラグビー『観戦力』が高まる」「突破!リッチー・マコウ自伝(※共訳)」(ともに東邦出版)など著書多数。>>Twitterアカウント

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