「選手、クラブ、それからサポーター。3本柱として、サポーターの存在は本当に大きかったです。感謝したい」

スタジアムを去る直前、あの人はそう話してくださいました。


2017年元日。一年の幕開けとともに決勝を迎えた天皇杯全日本サッカー選手権大会。日本で最強のサッカーチームを決めるそのトーナメント大会において見事タイトルを獲得したのは、2016年Jリーグ王者、そしてクラブワールドカップで決勝まで進み、あのレアル・マドリードを相手に善戦した鹿島アントラーズでした。

惜しくも準優勝となったのは、川崎フロンターレ。

天皇杯で決勝まで進んだのはクラブ史上初の快挙であり、選手たちも力を付け、チームもサポーターの皆さんもまとまりを見せる中で、初優勝にも大きな期待が寄せられていました。

冒頭の言葉を話してくださったのは、5年間にわたりチームを率いた、風間八宏監督。昨年10月に、2016シーズン限りでフロンターレを退任することを正式に発表し、元日の決勝が指揮を執る最後の日となりました。試合に敗れ、悔しいことは言うまでもなかったと思いますが、彼がすがすがしい表情でそう話した理由は何だったのでしょうか。私は準々決勝から3試合、スタジアムを訪れ、その理由に触れることができました。


12月24日。クリスマス・イブに行われた準々決勝は、フロンターレ vs FC東京戦。これまでにも、地域の名誉を懸けて「多摩川クラシコ」と呼ばれる数々の熱い戦いを繰り広げてきたカードです。この日はFC東京のホーム、味の素スタジアムにて試合が開催されましたが、たくさんのフロンターレサポーターの皆さんも応援に駆け付けていました。

私は熊本県出身であることから、普段は主にロアッソ熊本の記事をお届けしています。この日初めてフロンターレの取材を行うことになり、サポーターの皆さんにも初めてお会いするので、内心ちょっとドキドキしていたのでした。

快く迎えてくれたのは、フロンターレの応援団「川崎華族」でコールリーダーを務める、小俣海人さん。

画像: 天皇杯 決勝まであと3試合。フロンターレサポーターの想いとは!?/フロンターレ 天皇杯決勝までの軌跡①

小学生の時に初めてフロンターレの試合を観に行き、中学生の時にはもう本格的に応援をし始めていたそう。川崎市で生まれ育った小俣さんは、地方に行った際に「どこから来たの?」と聞かれ、「川崎です」と答えてもあまり分かってもらえず、仕方なく「東京です」とか「横浜です」と答えてもどかしい思いをしたことがあるそう。フロンターレを通じて川崎市がもっと盛り上がったらいいなという想いで応援をしてきたそうです。

小俣さんは、フロンターレの魅力をこう教えてくれました。

「スタンドを見てもらうと分かると思うんですけど、小さいお子さんから僕らのような若者世代、そしてもうちょっと上の世代、さらには小さいお孫さんを連れていらっしゃる世代までさまざまな方がいて、家族のようなアットホームな雰囲気なんです。その温かさがフロンターレの魅力だと思います」

スタジアムに入ると、家族連れの方も本当に多く、小さいお子さんがかわいらしい声で応援歌を歌っている姿がとても印象的でした。そんなさまざまなファン・サポーターの皆さんが集まるゴール裏で、コールリーダーとして応援をまとめ上げる小俣さん。常に周りのことを考えながら、どういう応援をどういうタイミングで入れたらサポーターの皆さんが盛り上がるか、チームが盛り上がるか、いろいろなことを考えながらコールをしているそうです。

画像: 中央左=小俣海人さん

中央左=小俣海人さん

また、風間監督に対する想いも語ってくれました。

「最初は、ずっとテレビで見ていた方が監督になって、記事にはディフェンスの練習をしないとか書かれていたりして、どんな監督なのかなと思ってました。でも、常識を疑うことが進化への第一歩であるとする風間さんのサッカーに、すごく魅力を感じるようになりました。その“風間サッカー”で、何としてでも1番を取りたいなっていう想いがあります」

小・中・高校とずっとサッカーをしていたという小俣さん。ポジションは左サイドバックだったそう。現在はサポーターとして試合に臨んでいる彼は、どんなプレースタイルで応援しているのでしょうか。そしてこの日、ピッチではどんな“風間サッカー”が見られたのでしょうか…!?

(第2話へ続く)

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