新入社員・新入生へ。Jリーガーも緊張してました!!

画像: 新入社員・新入生へ。Jリーガーも緊張してました!!

リーグ戦も始まって、次々と新人選手がデビューを飾っています。新人でなくても、やっと出番が回ってきた選手もいるでしょう。初めてプロのピッチに立つ、一生に一度の特別な時間。いろいろな選手が、デビュー戦だけははっきり記憶しているようです。

井手口純さんは、残念ながらプロ1年目でピッチに立てませんでした。負傷でほぼ1年リハビリに明け暮れなければいけなかったのです。同期の遠藤保仁選手、大島秀夫選手、辻本茂輝選手、手島和希選手は、同じ横浜を本拠地としていた横浜フリューゲルスのベンチに座っていました。その同じ年の選手たちを見て、井手口さんは「正直歯がゆかった」と言います。

井手口さんが初めてピッチに立ったのは、1999年ファーストステージ第7節、アウェイの磐田戦のことでした。残り22分、スコアは0-0。さぞかし緊張したことでしょう――。

「1年目はずっとボールを蹴りたい、試合に出たいと思っていましたが、時が経たないと出られないのはわかっていましたから、とにかく我慢していました」

「2年目になったとき、チーム内のライバルは日本代表の井原正巳さんや小村徳男さん、松田直樹さんたちでした。なので、『この人たちに勝てたら日本代表になれる』という高いモチベーションを持つことができました。実際はとんでもなく高い壁だったんですけどね」

「でも、とにかく目の前で見て、目の前で盗めるというのはよかったと思います。それが横浜マリノスを選んだ理由でもありましたし。そして3年目、4年目ぐらいで出られればいいとチームに入る前は思っていました」

「ところが入ってみると、やはり試合に出なければいけないのがわかりました。プロになった以上は試合に出てナンボです。だから2年目の途中からコンサドーレ札幌に期限付移籍したんですけど」

「試合に出ると試合勘ができますし、プロとして応援されると緊張感もあるし、これに勝たなければお金にならないというのを痛切に感じます。そのためにも試合に出るべきだと思いました」

「そんなことを考えながらベンチに座っていた僕のデビュー戦は急にやってきました。井原選手が退場し、出場することになったんです。交代したのは桐光学園高等学校の1年先輩、中村俊輔選手。すごい緊張したのを覚えてますよ。結局、僕が出た後に失点して0-1で負けました。ちょっと苦い思い出です」

「今年、僕が2年前に桐光学園のコーチをしていたときの選手が磐田に加入したんです。FWの小川航基選手。彼がプレーするのを見ると、僕も昔の自分を思い出せると思いますね」

どんなふてぶてしい態度を見せていた新人選手も、実は後から聞くと相当緊張していたという話をよく聞きます。井手口さんが指導したという小川選手について、井手口さんは「小川選手はふてぶてしいので、緊張するのかしないのか楽しみです」と笑っていました。さてさて、どうなのでしょう?(文=森雅史)

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.