「大切な人が目の前で倒れたとき、あなたはその人の命を守ることができますか?」

ライフセーバーによる人命救助や水難事故防止の技術を上げることを目的につくられたライフセービング競技の一つ、ビーチフラッグス! その全日本選手権で2連覇を果たしている和田賢一選手のインタビューをお届けしています!

子どものころから続けていた野球を失い、がむしゃらに探し続けた新しい“夢”、ビーチフラッグスと運命的な出会いを果たした和田選手。そこからいかにして、その歩を進めてきたのでしょうか?

画像1: “世界一”になる過程でお巡りさんに職務質問!?/ビーチフラッグス和田賢一選手インタビュー③

人の命を守るために尽力するライフセービング精神と、一瞬で勝負が決まってしまうスピード感あふれるビーチフラッグスという競技の魅力に、心を突き動かされた和田さん。挫折を重ね、一度は諦めた“夢”。ですが、ビーチフラッグスを始めたその日からもう一度、“世界一”へと挑戦することを決意したのでした。

トレーナーとして働きながら、その出勤前後の早朝と深夜、近所の公園の砂場でスタートの練習を重ねました。毎日100回の反復練習。時には通報され、時にはお巡りさんに職務質問をされ、時には夜中に騒いでいた不良の子たちを注意し、時にはカップルのケンカを仲裁し、時には人間の動きを超越して猫に猫と認められました(※注:和田さん談)。

「もしかしたら周りからは変な人だと思われていたかもしれませんが、むしろ公園の治安と平和を守っていたんじゃないかと思っています」

そんな日々を過ごし、いつしか反復練習が10万回を超えたころ、彼は日本一になっていたのです。「もちろんすごく嬉しかったですし、自信になりました」。ですが、和田さんの心は十分には満たされませんでした。なぜならば、目指していたのは“日本一”ではなく、“世界一”だったから。世界一の選手であるサイモン・ハリス選手を超えることこそが、和田さんの目指すところだったのです。しかし、心の中にある疑問が浮かび始めました。

サイモン・ハリス選手を世界一たらしめていたのが、世界最速のスタート。どれだけ反復練習をしたところで、そのスタートが“超えられない壁”のように感じるようになってきていたのです。

「このままの練習を続けていて、果たして自分は“世界一”になれるのだろうか?」

和田さんはある決心をしました。オーストラリアへと渡り、サイモン・ハリス選手に会いに行こう、と。もちろんツテなどあるわけもなく、会える確約など当然どこにもありません。それでも、自分の目標のためには、世界一から学ぶことが必要だと考えたのです。お金も無く、語学力も不十分。それでも躊躇はありませんでした。無鉄砲そのものかもしれない。でも、「“世界一”になりたい」。その思いをかなえるためなら、どんないばらの道であっても突き進んでいこうと、堅く心に誓ったのでした。

こうしてオーストラリアへと旅立ち、数多くの苦難を乗り越え、ついにサイモン・ハリス選手から教えを受けることができたのでした(このあたりのすったもんだの詳しい話は、また後日…)。そして約半年がたったころ、クイーンズランド州選手権の決勝でサイモン・ハリス選手を打ち破り、優勝を果たしました。その1カ月後には、世界最高峰の全豪選手権で日本人初となる準優勝を達成したのです!

競技を始めてからわずか4年半での快挙に世界が驚きました。しかし、わずかに届かなかった“世界一”の座。世界最速といっても過言ではないスタートを身に付け、確かにスタートでは誰にも負けることはありませんでした。ですが、その後の20mで走り負けた。次なる課題は明確でした。

画像2: “世界一”になる過程でお巡りさんに職務質問!?/ビーチフラッグス和田賢一選手インタビュー③

走力を高めるため、国内外を問わず世界中の陸上チームに練習参加を申し込みました。しかし、どんなに夢に対する熱い思いを伝えたところで、陸上の選手ではない和田さんを受け入れてくれるチームはありませんでした。たった一つのチームを除いては…。

ジャマイカの「レーサーズトラッククラブ」。あの人類史上最速の男、ウサイン・ボルト選手が所属する名門チームが、練習参加の受け入れを表明してくれたのです。陸上界で最も練習が厳しいといわれ、「いや、本当に死ぬかと思いました(笑)」と、笑って振り返る和田さん。その練習は想像を絶するものでした。

しかも最初のうちはチームメートから「空気のように扱われた」そうで、「チン」(Chinese=中国人)と呼ばれていました。ですが留学した3カ月間、チームで唯一1日も練習を休まず、必死に食らいついていくその姿勢が、チームメートにリスペクトの念を抱かせたのかもしれません。2週間後、呼び名は「ジャパン」、さらに1カ月後には「ケン」と移り変わり、やがて最大級のリスペクトの意を込めて「ブラザー」と呼ばれるようになりました。

和田さんのことを仲間、ファミリーとして迎え入れたのは、ボルト選手も例外ではありませんでした。基本的にボルト選手は一緒に写真に写ることを認めないといわれていますが、和田さんは一緒に写真に写ることを許され、それどころか自宅にも招待されたのでした。(ジャマイカ修行の詳しい話も、また後日にお届けします)

こうして和田さんは今も、“世界一”になる夢を追い掛け、日々努力を重ねています。それにしても、なぜ和田さんはそこまでして“世界一”にこだわるのでしょうか? 次回は、その思いについて伺いたいと思います。

<文・野口 学(text by Manabu Noguchi)>

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