「ゴールの先に、守るべき命がある――」

ライフセーバーによる人命救助や水難事故防止の技術を上げることを目的につくられたライフセービング競技の一つ、ビーチフラッグス! その全日本選手権で2連覇を果たしている和田賢一選手のインタビューをお届けしています!

前回は、ライフセービング競技の成り立ちや、ビーチフラッグスのルールについて、お話を伺いました。

画像1: 「あなたは大切な人の命を守ることができますか?」/ビーチフラッグス和田賢一選手インタビュー②

それにしても、和田さんはいかにしてビーチフラッグスと出会ったのでしょうか? そのルーツを探るには、彼の高校時代にまでさかのぼらなければなりません。

プロ野球選手になるのが夢だったという和田さんは、小学2年生の時に始めた野球が心から大好きな少年でした。甲子園を目指して、強豪校である日本大学鶴ヶ丘高校へと入学した彼に、思いがけない試練が襲い掛かります。イップスと呼ばれる心因的な運動障がいになってしまい、思い通りのプレーができなくなってしまったのです。それでも高校3年間、野球部をやめずに続けてきましたが、結局ほとんどボールを投げることができなかったそうです。

「人が繊細だと考える2倍ちょっと繊細なので」と本人が言うように、とにかく大好きだった野球の夢を諦めたことで、和田さんの人生は闇に包まれてしまいました。

「これからどうやって生きていけばいいんだろう? 僕はいったい何者なんだろうか?」

挫折を味わった和田さんは、大学に進学してからももがき続け、ようやく一つの答えにたどり着きました。

「人生は一度きり。やるか、やらないか。スポーツで何でもいいから、“世界一”になりたい!」

それからの和田さんは、がむしゃらに自分の“夢”を探し続けます。まずはテニスを始め、ウインブルドン優勝を目指しました。今や世界的なプレーヤーになった錦織圭選手が一部で注目され始めていたころ、錦織選手が四六時中、意識のある時はテニスラケットを握っているという話を聞けば、自分は意識・無意識に関係なくラケットを握り続けようと考えました。

「今から始めて“世界一”になるには、他の人と同じことをしていては勝てない」

授業中は利き手でラケットを握り、逆の手でノートを取る。歩いている時にはボレーの練習。キャンパス内のちょうどいい壁で壁打ちをして通り、寝る時にもラケットを握りました。当時和田さんが所属していたサークルでは毎日飲み会が行われていましたが、朝練のためにと断り続けていました。そして、ついに迎えたサークル内の大会。その結果は…、

「ボロ負けでした(笑)」

こうして、テニスの“世界一”が遠いことを思い知らされた和田さん。再び挫折を味わうことになります。その後、ダブルダッチ、総合格闘技、サーフィン、次々と自分の“夢”を探し続けましたが、いずれも挫折に終わってしまいました。

画像2: 「あなたは大切な人の命を守ることができますか?」/ビーチフラッグス和田賢一選手インタビュー②

「『振り出しに戻る』の繰り返しだった」という大学生活。「せめてスポーツに関わる仕事がしたい」と考えた和田さんは、スポーツトレーナーの道へ進むことを決めました。その中で受講した心肺蘇生法(CPR)の講習会。講師の方が問い掛けたある言葉が、和田さんの人生に転機をもたらします。

『大切な人が目の前で倒れたとき、あなたはその人の命を守ることができますか?』

和田さんはこの時、心が締め付けられる思いを抱いたといいます。

「今の自分には何もできない…」

実はこの講習会の主催が、日本ライフセービング協会だったのです。命を守る活動に深く共感した和田さんは、友人の紹介でライフセーバーとしての活動を始めることに。

こうして、和田さんががむしゃらに探し続けた新しい“夢”、「ビーチフラッグス」との運命的な出会いを果たしたのでした。

<文・野口 学(text by Manabu Noguchi)>

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